【質問答えます】勉強する本質的な意味とは?

質問者Aさん「勉強する本質的な意味って何なんでしょうね?」

勉強の本質は好奇心

僕「勉強の本質は好奇心です。特に知的な刺激や探求しようとする好奇心、つまり知りたいと思う気持ちや、物事を理解したいという知的欲求が本質だと思います。

しかし、勉強する意味って人によってまちまちです。

ある人は学校で良い成績を修めたいとか、いい大学に行きたいからとかの理由もあります。また最終的にいい就職口に就きたいから勉強するという人もいるでしょう。日本の社会ではそう考える家族が多いのも現実です。

テストがあるから勉強する、は最低レベルのマインド

僕はそういう理由で勉強するのはあまりお勧めしません。なぜなら、そういうことのために勉強する人は、目的が達成されたら勉強しなくなるものです。その場合、志望校に受かってその学校の学生になった途端、あるいは自分の志望企業の職にありつけて社員になった途端、勉強しなくなる場合がほとんどだからです。

また、テストがあるから勉強する、とかテストをモチベーションにしないと勉強できないというのは、最低レベルのマインドだと思ってください。なぜなら試験勉強のための勉強に慣れると、それ以外の学習に重点を置かなくなるようになってしまいます。しかも人生のステップアップにいつも試験があるとは限りません。むしろ試験以外で評価されることの方が多いです。

残念ながら日本のエリート達は世界のエリートより勉強量で総じて劣っています。特に社会人になってから以降のラーニングに費やす量は雲泥の差です。終身雇用制度的な長期雇用の文化があると、安定した自分の役職を維持しようと思っても、役立つかどうかわからない新しい知識を学ぶモチベーションが芽生えづらいのかもしれません。

学問は自己実現の手段ではない

僕は、生涯に渡って何かに好奇心を持ち勉強し続けるのは、人生を豊かにする絶大な効果があると思います。大学教員となった自分の学習遍歴を顧みても、好奇心で自主的に学んだプロセスには持続性があり学んだ内容も強く覚えているものです。僕の大学院留学時代のライバル達を見ていても、勉強を学位や就職(又はキャリアアップ)の手段とした人より、勉強そのもの・学問そのものを楽しんだ人の方が、卒業後も躍進している人が多いです。

のびしろが無限にある少年・少女、又は、スポンジのようにあらゆるものをグングン吸収するような幼少期にいるような方は、決して学問を自己実現の手段として利用することはありません。ただただ面白いから熱中している、好きだから無我夢中でやっているのです。知りたい、学びたい、知識を得たいという好奇心・探求心がしっかり自分の中にあるからです。

学びたいという内なる欲求の炎は、なぜあなたの胸の奥に灯っているのか?

そういったことを踏まえて、勉強するという行動そのものが自分の好奇心にマッチしているかいないかで、自分にとってその勉強が意味のあるものかどうかがわかると思います。結局は、なぜ勉強するのか、勉強するとしても自分は何を得たいのか、どういう知的好奇心・探求心を満たせるか、を問い続けることが、勉強に意味があるのか悩むよりも大事なのではないでしょうか?

学びたいという内なる欲求の炎を絶やさず、静かに自分の胸に聞いてほしいと思います。何故、その消えそうな小さな炎はあなたの胸の奥に灯っているのか?あなたの人生で心血を注ぐパッションはどこにあるのか?

そして、忙しい毎日から、あなたの学問(勉強の機会)を取り戻そう。

マサト・ナカムラ  」

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