質問者Eさん「個性ってどうやって作ってますか?」
僕「Eさん質問ありがとうございます。個性を作るって難しい話ですよね。
そもそも個性って作るものなんでしょうかね?それとも、もともと持っている個性を、自分や他人が発見するものなのでしょうか?個性がないって人から言われたら、僕達のような普通の人はどうしたらいいのでしょうか?また、例えば『あなたの作品に個性がない』とか、『あなたは個性的なセンスがない』とか他人に指摘されたら、僕のような凡人はどうすればいいのかわからなくなるものです。
定かではないけど、いくつかヒントになることがある
個性の作り方、どうやって作るのか?-。僕は個性を”作る”ということを意識したことが殆どないので、どうやって僕の個性を僕が作ってきたか定かではないです。ただ、いくつかヒントになることがあるので、それらを綴りたいと思います。
個性とは、ウエブで検索すると、
- 他の人とちがった、その人特有の性質・性格。個人の特性。「―的な人」
- 個体に特有の性質
とあります。そして、英訳だと個性は
- personality
- individuality
- idiosyncrasy
とあります。
地球環境学的に言うと周りの環境が大事 !?
なるほど、これらは一般的な定義だったり通常の英訳だったりしますが、要するに、その人特有の~、個人の~、っていうこと。個人の特徴って、ある集団と比べて、とか周りの環境に対してなど、何かの条件での比較の上に成り立つものです。つまり、人と違う考えや行動を伴うと、個性やパーソナリティって呼ばれるものは強調される傾向にあります。
専門が地球環境学だからか僕が強く思うのは、周りの環境って自己(自分自身)と同じかそれ以上に大事だということです。例えば草原に茂っている草は陽の光を浴び十分育っていますが、そこに一本だけ高い木が生えているとしたら、その木は地面に生えている草よりも背が高い分よりたくさん太陽光を浴びることができ、その草よりも有利に光合成ができるかもしれません。またその一本の木のおかげで、鳥が休息できたり、リスが逃げ込んだりすることができます。
同じ草原を構成している植物でも、地面に生えている草と比べると、その一本の木は特別な存在といえます。つまり、草原というエコシステムの中で、その木は唯一(草にない)固有の特徴(鳥やリスを呼び込むなど)を提供し重要な役割を担っています。この固有なもの、ユニークなものがこの生態系の個性や特徴となりえるのです。地球環境学において、このような生態系を構成している生物種(living organisms)や非生物種(nonliving components)のユニークさや多様性は、その生態系の特徴(個性)を示す上でなくてはならないものになります。
母集団から見たら、異質な経験やバックグランドがその人の特徴や個性になりうる
この概念は人間社会にも当てはまります。例えば、芸術を専攻している学生の中に工学を学んでいる学生が一人いるだけで、クラスのディスカッションがちょっと変わって美的センスに合理性が加わったり、会社のセールス・マーケティング部隊の同僚はみんな週末ゴルフをやるのに自分だけ乗馬をやっていてスポーツの話で共通点と相違点を見いだせたり、ヨーロッパ人のバーの集まりに一人だけ日本人の自分が入って文化論で盛り上がったりする場合があります。これらはみんな母集団の中に異質なバックグランドを持つ人が入った例です。こういった例では、その異質な経験やバックグランドがユニークさとなり、その母集団からみたらその人の特徴や個性に見えるのです。
僕は地球環境学を研究していて環境科学で科学者的なこともやるし、環境工学でエンジニア的な解析もやる。また環境技術(クリーンテック)でテクニシャン的なこともやります。だから、テクニシャンの集まりでは、僕はエンジニアっぽく見えて異質かもしれないし、エンジニアの集まりでは科学的なこととテクニカルな技法を強調している人に見られると思います。また、科学者の集まりでは応用と実践も語って目立っているかもしれないです。更に、この三つ、科学、工学、技術の他にデザインもやっているから、そういう側面で異質に思われるかもしれません。
興味のある事を片っ端からやってみた方が、自分の才能やパーソナリティの特徴を発見できる
また、僕の勤務校では日本人の教授は僕のほかに一人しかいません。だから、僕のカレッジで日本の文化や企業のことで皆の知らない知識(例えばNintendoは花札のカードゲームの会社だったとか、PokémonはPocket Monstersの略とか、トヨタは機織り機の事業から始まったなど)を披露すると重宝してもらえます。逆に、北海道に帰るとニューヨークに20年近く住んでる人などほとんどいないので珍しがられます。そういった母集団の中でのユニークさ特異さや特徴が、時に個性と呼ばれる要素を構成うるものだと思います。僕は自分のことを個性的だとは思いませんが、実家のある北海道に帰ると何気ない僕の振る舞いが、周りから見たら日本人っぽくないようにみえて僕を特徴づけているのかもしれません。つまり、所属している(ある環境に存在する)母集団(他の人)と比較して、あぶり出される特徴や固有の経験、そういったものから構成されるもの、が個性やパーソナリティになりうるのではないでしようか?特に、個性を『作る』という後天的な作業の方法に関してはそうだと思います。
逆に、持って生まれた個性や才能など先天的なものは、自分で『みつける』か、他人に『みつけてもらう』しかありません。ただ、これら先天的な個性のディスカッションは無駄ではありませんが、質問者Eさんにはあまりお勧めしません。というのも、自分の個性や才能って何だろうとか、自分のパーソナリティの特徴はどんなのだろうという問いかけに長い時間を費やすよりも、自分がちょっとでも興味のある事を片っ端からやってみた方が、自分のプリファレンス(好み)がわかるからです。そうすることによって自分の才能やパーソナリティの特徴を発見できます。そしてそれらの特徴や才能が、いずれあなたの個性を生み出すのではないでしょうか?
『人と同じ=正常』『ユニーク=異常』は日本にいたときの僕の固定観念、ここアメリカでは『人と同じ=退屈』『ユニーク=すごい』
アメリカ大学院留学中、僕が博士課程の学生の時、初めて米国機械学会(ASME)で自分の研究テーマで得た成果の一部を発表しました。そのテーマで賞をもらったのですが、審査してくれた方は、受賞発表の時、僕の研究のことをユニークだって言ってくれました。留学したての僕はユニークだと言われた意味がよくわからなくて、アメリカ人の友達に聞いたんです。『ユニークって誉め言葉なの?』って。そしたら間髪入れず『誉め言葉でしょう。オリジナリティがあるってことだよ、おめでとう!』って教えてくれました。
まだアメリカ生活が浅かった僕は、25年ばかり過ごした日本の社会の影響からか、ユニークって評価した人の言わんとする意味は『ユニークな分、リスクを伴う』『ユニークで人とは違う手法なので、無駄になる可能性大』『ユニークで皆からまだ支持されていない、標準からかけ離れた危険性』というネガティブな言葉だと刷り込まれていたのです。つまり『人と同じ=正常』『ユニーク=異常』は日本にいたときの僕の固定観念で、ここアメリカでは『人と同じ=退屈』『ユニーク=すごい』って言う意味なんだということを学んだのです。
まず行動を!月日が経って振り返った時、個性豊かな自分に気づくはず
金太郎飴はどこを切っても同じで、切った飴はどれも一様な形・デザインですが、一つだけ違った飴が袋に混ざっていたら、その飴は個性輝く特別なデザインに見えることでしょう。人間の個性も多分似たようなもので、比べる対象(母集団)や環境しだいで、個性は輝くものだと思います。なので、人と違ったことや他人がやらないことだからと躊躇することなく、いま質問者Eさんがやってみたい事、興味のある事に情熱を注いでみてはいかがでしょうか?
そして月日が経って振り返った時、個性豊かな自分に気づくはずですよ。そうなるためにまず行動を起こしてみてください。男性・女性だから無理とか、若くないから・この年でいまさら恥ずかしいとか、日本人だからとか、結婚している(いない)からとか、正社員・非正規だからとか、お金がないから等は一切関係ありません。そういった性別、年齢、国籍、人種(出生)、婚姻状態、雇用形態、経済状況などは一切忘れて自分がやってみたい事に心血を注ぐのがおススメです。
これが『個性の作り方』に対する僕の考え・回答かなと思います。
将来、個性的になったEさんとお会いできるのを楽しみにしております。
応援しています。
マサトナカムラ
追記: 金太郎飴のように自分のどこを”切って”も他のサラリーマンと同じという自分を目指すのか、それとも草原の中にそびえ立つ一本の大木になって、鳥やリスに休息を与える唯一無二の存在になるかは、Eさんの環境を変える(つくる)努力と自己研鑽によると思います。ただし、日本人はすぐ努力だけに頼ってしまう傾向があるので、僕はあえて努力や自己研鑽は強調しませんでした。」