【質問答えます】私は日本の私立文系で、改めて数学を勉強したい。アメリカでは教養でのプログラムでぎっしりと勉強をするからこそ、日本の文系との差が出来てしまう?

質問者Lさん「質問です。私は日本の私立文系で勉強していて、改めて数学を勉強したいと思っていますがなかなか苦手を克服できず…。そこで、日本の数学レベルは高校まででは非常に高いと思うのですが、海外・特にアメリカでは、大学入学後、1,2年間教養でのプログラムでぎっしりと勉強をする必要があるからこそ、日本の文系との差が出来てしまうのでしょうか?」

僕の回答「Lさん質問ありがとうございます。日本での私立文系で数学を勉強したいという意欲、素晴らしいと思います。

アメリカの大学のリベラルアーツ(教養)は含めてしっかりしてますよ

ご指摘のとおり、アメリカの大学のリベラルアーツ(教養)は数学も含めてしっかりしてますよ。どこまで数学を深く学ぶかは、カリキュラムと本人の選択によって違います。というのも、例えば本人が将来メディカルスクール、ロースクール、ビジネススクールのようなプロフェッショナルスクールに進学したいのか、もしくはサイエンスやエンジニアリングのマスタープログラムなどに行きたいのか、またまた、シアターや音楽のアート系の大学院に行きたいのかなど、将来の選択によって取る数学コースを選ばなければなりません。

デュアルデグリーや専攻・副専攻も考えて

将来の選択のために必要な数学を自分で選ぶ、それが1点目のポイント。2点目はアメリカはデュアルデグリー(2つの学位を同時に取る)や専攻・副専攻(メジャー・マイナーを取る)のカリキュラムが充実していること。例えばコンピューターサイエンスと言語学の両方でバチェラーデグリー(学士号)を取るとか、マーケティング専攻だけど副専攻に生物学を取るなど、結構フレキシブルなのです。そういった中で数学が必要なら勉強していきます。同じ学科の学生でも意識の高い学生はそうでない学生の2-3倍勉強して、どんどん自分の知性と能力を磨いていきます。

本質的な理由は日本の大学入試制度

日本の文系との差についての質問ですが、1、2年間の教養でのプログラムでの差や、上に挙げたカリキュラムの冗長性・主従性も大きな理由でしょう。しかし、もっと本質的な理由は日本の大学入試制度にあると思います。入るのは難しいけど、一度入学したら卒業しやすいというようなシステムは危機感が生まれにくいので、大学在籍時に余計、数学や物理などの厄介な理系科目を遠慮しがちになってしまいます。自分の大学は卒業さえすれば就職しやすいと安心してしまうと、すぐに学ぶ意欲が薄れてしまいます。続かない終身雇用制度を掲げていた某企業や、破綻するのが見えているのに年金は大丈夫と言っていた某政府などは、社員や国民が優秀だったとしてもすぐ意欲がなくなってしまいます。労働市場が自由で活発な社会で活躍したスペシャリストや、年金を自ら運用し、自分の老後は自分で守ってきた市民から比べると、実力の差はすぐに天と地ぐらい離れてしまいます。

自分のラーニングオポチュニティ(教育機会)を常に最高のクロリティに保つこと。文系理系だと言っている暇はない

この現象は実は大学でも同じことが起きているんです。なので日本の優秀な学生が生き残るためには、所属している大学のカリキュラムや教授の質などいいところは最大限活用しつつ、自分のラーニングオポチュニティ(教育機会)を常に最高のクロリティに保つこと、常にそれに意識を置くということは大切ですよ。文系理系だと言っている暇はありません。必要なら数学もどんどん学ぶという質問者さんの姿勢でいいと思いますよ。苦手は克服しなくていいんです。そのチャレンジを楽しむことが大切だと思いますよ。

応援しています。

マサトナカムラ 」

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